「地理的センスを備えた人を増やすことは新しい時代の国づくりにつながる」前編 大石久和会長特別対談

ゲスト:戸所 隆氏(日本地理学会会長、高崎経済大学名誉教授)

「地理的センスを備えた人を増やすことは新しい時代の国づくりにつながる」中編 大石久和会長特別対談

ゲスト:戸所 隆氏(日本地理学会会長、高崎経済大学名誉教授)

「地理的センスを備えた人を増やすことは新しい時代の国づくりにつながる」後編 大石久和会長特別対談

ゲスト:戸所 隆氏(日本地理学会会長、高崎経済大学名誉教授)

「地理的センスを備えた人を増やすことは新しい時代の国づくりにつながる」

大石会長が各界の第一人者とともに経済や社会、歴史、文化など幅広い分野と土木の関わりを議論する対談シリーズ。今回は日本地理学会会長で、高崎経済大学名誉教授である戸所隆氏を招き、東京一極集中への対策や、地理学と土木との関わりについて意見を交わした。

戸所 隆氏 日本地理学会会長、高崎経済大学名誉教授 
大石久和 第105代土木学会会長

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文理統合的な視点から全体を見る力を養う地理学


大石――最初にお聞きしたいのですが、戸所先生はどうして地理を学ぼうと思われたのでしょうか。

戸所――私は前橋の生まれで、物心がついた頃は戦後の世界で、周りには何もありませんでした。ところがある日、東京に連れて行ってもらったら、そこには全く違う世界が広がっていた。子ども心に「前橋もこんな街にしたい」と思いました。それには全体をデザインする力が必要です。地理を学べば全体を見る力が身につくのではないかと思ったのです。中学や高校の先生から、地理は国のかたちをつくっていくのに役立つ、と教えられたことも大きかったですね。

大石――地理学は戦後しばらくの間、国土の成り立ちを学ぶ重要な学科として扱われていました。それがある時期からあまり重んじられなくなっていったと聞いています。

戸所――国づくりには全体を俯瞰する視点が欠かせません。地理には地形や地質を扱う自然科学の部分と、都市や経済などを扱う人文科学的な部分の両方を含んでいます。吉田松陰や内村鑑三、福沢諭吉も、国づくりの基となる学問として地理学の重要性を説いています。戦後も長らく必修科目でしたが、1980年代後半に高校教育の必修から外れました。私ども日本地理学会は、新しい時代の国づくりを促すためにも、高等学校の地理教育必修化をずっと働きかけてきました。そしてようやく2022年に完全実施予定の高等学校指導要領で、必修化が果たされました。これによって、文理統合的な視点から世界を俯瞰し国全体のかたちを考える見方が育ってくれればと思っています。

大石――地理学は土木をやる上で最も基礎的な学問ですから、地理に関心の深い子どもたちが育ってくれることは、土木の入り口を広げることになります。われわれにとっても地理の必修化は朗報です。
 それにしても最近の日本人は、国土全体への関心を持つことを怠っているように思えます。税収構造から、多くの企業が本社を置く東京には税がどんどん集まってきます。にもかかわらず、地方で何かをやろうとするたびに「東京の金が地方に使われる」と言う人がいます。北海道から沖縄までの国土全体があって日本という国が成り立っていることが忘れられているのです。
 明治になり、土木の先人たちは鉄道に力を注ぎました。1872年に新橋ー横浜間が開業して、89年には神戸、91年には青森までつながっています。ひるがえって新幹線が青森に到達するのにいったい何年かかったか。1964年に東京ー新大阪間が開業した後、新青森まで通じたのは2010年、じつに46年もかかっているのです。国土全体の活力を上げるよりも、事業の採算性が優先された結果です。
 首都機能移転論が終焉したことについても同じことが言えるのではないでしょうか。大災害への備えが切迫しているうえ、一極集中による外部不経済(経済活動の外で発生する不利益が個人や企業等に悪影響を与えること)が認識されていたにも関わらず、いざ誘致合戦となり収拾がつかなくなったら、移転の議論そのものが無くなってしまった。こんな奇妙な話はありません。

戸所――私は内閣総理大臣の諮問機関である国会等移転審議会専門委員もしまして、この30年ほど「首都機能の移転」を申し上げてきました。
 日本は江戸時代までは農業で経済が成り立っており、その時代の首都は京都でした。明治になり、首都を東京に移したことによって、新しい近代工業文化都市ができ上がったのです。これからは、知識情報社会にふさわしいコンパクトな新しい首都をつくっていくことが、理に適っています。経済首都としての東京に加えて、政治行政都市としての新しい首都機能都市をつくる必要がある。しかしどうも国民の多くは、移転にはすごくお金がかかりそうだと思ってしまう。大きく全体を見ることができなくなっているのです。

大石――1995年頃からこの国では「政府は小さければいい」「民営化すればいい」という新自由主義的な考え方が主流化してきています。

戸所――何でも民間の競争原理に任せていていいのか、と問いたいですね。任せていれば、強いところがどんどん強くなる。東京に関してもそうです。面積的には日本の国土の3.6%に過ぎない一都三県(東京圏)に、28.4%もの人口が集まっています。大学の収容定員を見ると、一都三県が全国の40.8%を占めている。多くの人材が東京の大学に集まり、そのまま就職して、東京だけがますます強くなるシステムになっています。弱い地方にも、しっかりした将来ビジョンのもとでインフラを整備するなど、目配りしていく必要があります。

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多様性があればこそネットワークが生まれる


大石――戸所先生は『歩いて暮らせるコンパクトなまちづくり』(古今書院・地域づくり叢書)という本を書かれました。

戸所――1980年代の初め、客員教授として渡米した際に、車でアメリカの町を4万キロほど見てまわりました。向こうは田舎町であっても、小さいながらいろいろな施設が置かれ、大都市圏に近い生活ができました。しかも、それぞれの町は高速道路や飛行機などでネットワークされています。一方、日本は航空航路も全て東京を中心に集中している。もっと本部機能の分散化が必要です。歩いて生活できる小さな町にして、それをネットワークで結ぶことでバランス良い国ができる。アメリカはそれをほぼ実現しています。

大石――地方にどのように人口を分散していくかは、もはや国家的課題です。建設省時代の仲間で、日本創世会議の増田寛也座長も「東京一極集中」に警鐘を鳴らしています。彼によると、この数十年間、各国の首都が占める人口比率はパリ、ロンドン、ベルリンともに15%ほどで、ほとんど変わっていない。ところが日本の一都三県の人口シェアは、1950年の15%から30%と2倍に上がっています。そのことをわれわれはもっと真剣には受け止めるべきだと思うのです。先生の言われるコンパクトな街づくりは、どうすれば実現できるのでしょうか。

戸所――何より国民の意識改革が必要だと思います。10年ほど前に東北や新潟で大雪が降って、その除雪に国費を投じたことに対して、東京の著名人がブログに「大雪が降るところに住んでいること自体がおかしい」と書いた。そのブログに何十万という若い人たちがアクセスしているのを見た時に「これは地理教育をしっかりやらないといけない」と本当に思いました。仮に東京に1億2700万人を集めて住まわせる巨大な建物を建てることができたとして、そのときに水や食料はどうするか、国土管理はどうするのか――。そこに考えが及ばない。国のかたちというものは、多様性の中で互いに協力し合ってできるものです。そのように国民の意識が変わるかどうか、だと思います。

大石――「多様性」は重要な概念です。多様性を失った国は脆弱になります。かつての日本人は、日本海側、太平洋側それぞれの風土に合わせた文化や暮らしの形態を持っており、その多様性によって日本は成り立っていました。

戸所――自分とは違う多様なものが全国いろいろなところにあってこそ、つながりたくなるものです。多様でなければネットワーク社会にはなりません。各地方が互いに助け合いながら、多様性を持って切磋琢磨することが必要であるのに、実際は逆に画一化の方向に進んでいるところに問題があります。

大石――国土庁にいた頃に「第五次全国総合開発計画(五全総)」に携わったのですが、その前の「四全総」が東京一極集中への対策が最大の課題だったのに対し、この五全総の時の課題は「人口減少・高齢化時代の国土づくり」でした。当時の計画調整局長は、大学で地理を専攻した糠谷真平さんでした。その下で働いていた私に糠谷さんが「これからは連携の時代だ」と言われた。「人口が減っていくのに、それぞれの町が『何でもフルセットで欲しい』と言っても始まらない。町どうしが分担、連携し、共有して使っていかなければ」と。非常に面白い発想だと思いました。まさに先生が言われたように、地域それぞれが違っていなければ連携する意味がない。

戸所――ちょうど糠谷さんが局長のとき、私は経済審議会・社会基本整備の専門委員をやっていたので状況はよく分かります。当時の国土庁は、地理学出身の人が多かった。「三全総」では、人と自然を調和させた総合的な居住環境を整備するという「定住圏構想」を打ち出して、いっとき地方自立の機運も高まりました。あれもやはり地理的な考え方であったと思います。そうした地理学的センスを持った人がこれから増えていけば、各地域に新しい時代を築く人たちが出てくるのではないでしょうか。

地理学が到達した知識や経験を土木に活かす

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大石――私は常々「国土が日本人をつくってきた」と考えてきました。地理学ではこうしたことも対象領域に入るのでしょうか。

戸所――その土地の文化がどのようにつくられてきたかは、まさに地理学の対象です。日本は南北に3000㎞と長く、亜熱帯から亜寒帯までの気候区を含んでいます。脊梁山脈があり、川は急流で、そのため災害が多い国です。被災して立ち直るときの日本人独特の無常観というのでしょうか――それは日本文化のいろいろなところに現れています。地理学は、自然と人間活動が織りなす地域の現象を記述し、そこに何らかの法則を見出して「ここにはこんな街づくりをしたらいい」などと提案していく学問です。全体を時空間的に見てデザインしていく役割を地理学は持っているのです。

大石――教科としては「歴史」や「地理」という名前がついていますが、スパッと分かれているものでもないんですね。

戸所――地理学には「歴史地理学」という分野があります。これは過去のある断面を復元していく学問です。たとえば古代の土地区画制度である「条里制」では、どのように土地割りされていたか、その時代を地図上に復元する。するとそこにどんな人間活動があったかが解ってきます。それが今日とどうつながってくるかを見る。
 たとえば滋賀県にある天井川はなぜできたか。条里制で土地をグリッド状に区割りしたために、それまで自由に動いていた川を固定した。すると上流から流れてきた砂礫が河床に堆積し、河床が上がっていく。そこで堤防を上げる。また砂礫が堆積して河床が上がる。その繰り返しで天井川ができたわけです。

大石――大和朝廷は平野部の利用可能なすべての土地を条里制で埋め尽くしました。しかし、水田にするためには各区画を完全に水平にし、しかも灌漑のために高低差もつくらないといけない。これは大変労力がかかる事業です。それを完遂したことで大和朝廷は強い権力を持っていたことがわかると聞いたことがあります。

戸所――そうですね。もう一つは、全国的に高度な土木技術を有していたからこそ条里制が実現できたということです。その伝統は今の日本に引き継がれてきていると思います。

大石――高度な土木技術が条里制を可能にし、その結果天井川が生まれ、それによって今、土木は苦労しつつも懸命に治水に取り組んでいる(笑)。いや、お話を聞いて、土木と地理学は、全く同じ地平にあることがよくわかりました。

戸所――例えば、瀬戸大橋を造るときにも、「児島・坂出ルート」ができたら両岸がどう変わるか、どういう架け方をしたらいいかというアセスメントに、私たち地理学者も関わりました。地理学と土木分野とのつながりは深まってきています。土木学会と地理学会で、これからますます学問的にジョイントしていける面があると思っています。

大石――地域の人々にとって、将来にわたってより良いものを残していくために、地理学が到達した知識や経験などを土木の中で活かしていかなければなりません。地理学と土木工学のコラボレーションにこれから大いに期待できるところがあると感じました。

[執筆]三上美絵 [撮影]大村拓也

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戸所 隆 (とどころ たかし)

日本地理学会会長、高崎経済大学名誉教授

立命館大学大学院地理学専攻修了後、立命館大学文学部地理学科助手・助教授・教授を経て、郷里の高崎経済大学地域政策学部教授となり2014年名誉教授。文学博士。日本都市学会長、政府の資源調査会・国会等移転審議会・経済審議会専門委員を歴任。全国のまちづくりに提言し、日本地図センター監事・群馬県文化財保護審議会長なども務める。

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