「大平原のヨーロッパ、川で分けられた日本 蓄積と循環の文化の差はどこからきたのか」前編

ゲスト:東京大学名誉教授、前文化庁長官 青柳 正規氏

「大平原のヨーロッパ、川で分けられた日本 蓄積と循環の文化の差はどこからきたのか」中編

ゲスト:東京大学名誉教授、前文化庁長官 青柳 正規氏

「大平原のヨーロッパ、川で分けられた日本 蓄積と循環の文化の差はどこからきたのか」後編

ゲスト:東京大学名誉教授、前文化庁長官 青柳 正規氏

「大平原のヨーロッパ、川で分けられた日本 蓄積と循環の文化の差はどこからきたのか」



大石会長が各界の第一人者をお招きし、経済や社会、歴史、文化など幅広い分野と土木の関わりを議論する対談の第2回。今回のゲストはローマ史を専門とする歴史学者・青柳正規氏。ローマ帝国繁栄の秘密からヨーロッパと日本の文化の違いとその原因などについて、深く広く話題が展開した。

青柳 正規氏 東京大学名誉教授、前文化庁長官
大石久和 第105代土木学会会長

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ローマ帝国300年の繁栄の秘密は「領域国家」のシステムにあり



大石――青柳先生は歴史学の大家で、東京大学で長く教鞭を取られるととともに、国立西洋美術館の館長や文部科学省文化庁長官などの要職を歴任してこられました。われわれ土木の人間は、遺跡など過去の歴史に触れ合う機会が多くあり、歴史認識を持っておくことが重要です。今日はお話を伺い、歴史の魅力についても共有できれば、と思っています。
 先生のご専門はローマ史ですが、ご興味を持たれたのはどういう経緯でしたか。

青柳――きっかけは、ポンペイ遺跡から出土した住宅に、見事な壁画があるのを知ったことです。2000年も前の社会では、人々は食べていくのがやっとのはずなのに、そのように家の中を装飾する経済的余裕があったのはなぜなのか、と不思議に思ったのです。そこからポンペイを中心に、ローマの文化を研究することにしました。

大石――私は以前、作家の塩野七生さんから「ギボンに代表されるように西洋人はローマが滅ぶ過程を好んで取り上げるが、私はローマが政治体制を変えながらあれだけ長く続いたことに興味がある」と聞いたことがあります。

青柳――そうですね。注目すべきは、ローマが世界初の「領域国家」である点です。それまで地中海は、いくつもの王国や共和国に分割されていました。このため、食糧が豊富な地域の争奪戦が起こっていたのです。それが紀元前1世紀頃から、地中海を一つの国にして、食糧が余っているところから集めて再分配すれば、戦争もなく穏やかな地域として永続できるのではないか、という領域国家の考えが生まれました。それをシーザーが実現し、アウグストゥスが制度化した。これによって今、会長がおっしゃったように、300年もの長期にわたり安定した繁栄を誇ることができたわけです。

大石――なるほど、ローマの版図の大きさが永続性を規定した、と。島国の日本からは想像しにくいですが、だからこそ歴代の皇帝がイタリア半島を守るために大変な努力をしたし、シーザーが讃えられるのもそれを成し遂げた人物だからなのですね。

青柳――ポンペイの人口はおよそ1万2000人でしたが、地中海全体が当時は5000万人程度でしたので、今で言えば20万都市ぐらいの規模でしょう。農業の他、玄武岩を石臼に加工して輸出していたし、風光明媚なことから別荘地としても人気があり、経済活動が盛んでじつに豊かな都市でした。

大石――土木の歴史で言うと、今から5500年前のシュメール文明ですでに城壁があった、というのを知って私は大変驚きました。私は、インフラの「発明者」はシュメール人、その意義や実装を考えた「発見者」がローマ人なのではないかと考えています。

青柳――そのとおりだと思います。ギリシャはプラトンをはじめ優れた哲学者や文学者を輩出しましたが、ローマには政治家はいても、いわゆる「天才」は出ていません。しかし、ギリシャの天才たちが発明したものを実生活で活用する知恵には大変優れていたのです。

大石――ローマの道路は現代の舗装技術から見ても素晴らしいものですし、ネットワークのつくり方も参考になります。

青柳――実用のために技術をスタンダード化していたのが特徴です。ギリシャ時代は城の優劣は個々の石工の技術に左右されましたが、ローマ時代になると誰でも積めるレンガで躯体をつくり、表面の化粧だけを石工がやるようになりました。個人の才能に頼らず、分解して再構築して実用化する、組織的なものづくりを確立したのがローマ人なのです。

循環型文化の日本ならではの災害を前提とした社会モデルを


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大石――先生は「ヨーロッパは蓄積の文化であり、日本は循環の文化である」とおっしゃっています。なぜそのようにお考えになったのでしょうか。

青柳――例えば、ローマのパンテオンが完成したのは紀元後128年ですが、なぜ直径43m、高さ43mものコンクリート建築が1900年近くも残っているのか。それは最初から「永久に残るもの」として構想されていたからではないかと思うのです。ところが、建物があまりに強固につくられていたので再開発ができない。4世紀にキリスト教が国教になったときも、異教徒の宗教施設を壊して教会にするのが難しく、イスタンブールに遷都するしかなかった。これはまさに、蓄積文化の典型ではないかと思います。
 一方、日本は伊勢神宮の式年遷宮のように、まったく同じものを作り直す文化です。ヨーロッパなら、2回目につくるときは「もっと頑丈にしよう」などと、発展的思考に基づいて改良していくでしょうが、日本はわざと同じにして型を守っていく。その代わり、技術やノウハウはきちんと継承されていくよさがある。ヨーロッパと日本では、そういうところが本質的に違うと思います。

大石――自然災害の捉え方も、ヨーロッパと日本では大きく違います。ヨーロッパは災害よりも紛争で多くの人が死んできたので、戦いに備える文化。人間に殺されたのであれば、残された者は復讐を誓うでしょう。ところが日本は、東日本大震災もそうでしたが、自然が突然に愛する人の命を奪う。恨む相手のいない悲しい死で、遺族はなかなかこれを受容できません。
 都市にしても、例えばパリはナポレオンのつくったまちがそのまま残っているから、景観を大事にする。これに対し、日本では東京も神戸も災害で壊されてきました。相手が自然であれば、諦めるしかありません。だから嘆くより、変わることを喜ぶ思想が形成されていったのではないかと思います。「大河ドラマ」というように、歴史を川の流れに見立てるのは、日本ならではの発想ではないでしょうか。

青柳――災害は辛い出来事である反面、それを乗り越えようと国民が一致団結するし、社会システムを刷新する契機にもなります。日本は、災害を前提とした社会のモデルをきちんとつくり上げれば、世界に誇れるものになるでしょう。例えば、大規模災害は保険では補償しきれませんが、被災していない人たちが当事者の気持ちになって余裕分を少し回すことで、保険に変わる仕組みができる。国民全体の連帯感があれば、地域で起こる災害や異変に対して助け合う社会システムが成立するはずです。

大石――究極の保険とは、国家そのものですからね。

分水嶺が形成する国土に合った家族や里山の暮らしを見直す


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大石――シュメールの城壁の話をしましたが、シティーの語源になったラテン語の「キビタス」や、天国を意味する「パラダイス」という単語にも、もとは「壁に囲われた場所」といった意味があるそうです。つまり、壁がなければ生きていけない、壁の外に出たら殺されてしまう環境だったということです。ただし、壁の中で共に暮らすためにはルールが必要。都市で生活する権利と制度に従う義務とは一体であり、ここから市民としての自覚が芽生えていったのではないかと思います。

青柳――現代でも、ローマでは「公共」の意識が強いですね。建物も、所有者が個人であってもファサードは“公のもの”と考えられ、使用できる色やデザインなどが細かく規定されています。権利を明確にすることが公共であり、そういう場所がシティーなのです。

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大石――日本でも江戸時代の大坂や江戸などの城下町には木戸がありましたが、これは夜間に盗賊などを逃さないようにするためのもので、まるで意味が違います。ヨーロッパの城壁に当たるものは存在せず、だから「市民」というものが生まれなかった、と私は見ています。
 こうした違いが生じたのは、平地の広さが影響しているのではないでしょうか。標高100m以下のエリアを地図上で色分けしてみると、ヨーロッパは非常に広大であり、中国はさらに広い。平原がどこまでも続き、敵から攻められやすい地形であることから、城壁が必要になったのでしょう。
 一方、日本は河川が網目のように分岐し、平原がほとんどありません。フランスの河川が7水系しかないのに対し、日本は1級河川が109水系、2級河川は2700水系にも及びます。川と川の間はすべて分水嶺ですから、われわれは狭い土地で助け合って暮らさざるを得ない宿命なのです。日本人の特性はまさに「小集落民」であることから生じているのではないか、というのが私の持論です。

青柳――私は、里山こそが日本文化の原点であると考えています。岐阜のある村で聞いた話では、昔は「山の稜線の見えるところまで」が生活圏だったそうです。それが高齢化によって生活の範囲が狭まり、遠い山は打ち捨てられて荒れ放題。日本は国土面積の68%が森林ですから、生活圏に里山を取り込む社会システムを再構築する必要があると思います。

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大石――厚生労働省の国民生活基礎調査によれば、1953年には全世帯のおよそ4割が6人以上の家族でした。核家族化が進んだのは戦後の高度成長期で、歴史的に見ればごく最近のことです。超高齢社会では社会保障ですべてをカバーするのは無理ですから、この行き詰まりを解消するためにも、家族の力や里山の暮らしを見直すべきではないでしょうか。同時に、災害時に医療スタッフが駆けつけられるように、交通や通信などのインフラをきちんと整備していくことが不可欠です。

青柳――地方の小さなまちでも、お年寄りが安全に乗ることのできる自動運転システムなども求められるでしょう。年度ごと、地域ごとに順繰りに「今年はこの地域を優先してインフラを向上させる」といったメタボリックな国土づくりができないか、と思います。

大石――いつの時代もどの国でも、課題解決には国土資源を活用して乗り切るしかありません。他国に先駆けてわれわれがそれを実現し、今こそ「日本ここにあり」と世界に示したいものです。本日はありがとうございました。

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[執筆]三上美絵 [撮影]大村拓也

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青柳 正規 (あおやぎ まさのり)

東京大学名誉教授、前文化庁長官

東京大学大学院修士課程修了後、ローマ大学へ留学し、ポンペイ遺跡の発掘に携わる。東大文学部助手、教授、学部長、副学長を経て、2005年定年退官。その後、国立西洋美術館長・理事長、文部科学省文化庁長官を歴任。ギリシア・ローマ考古学を専門とし、特に日本における日本におけるポンペイ研究の第一人者である。

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