「国土学と経済学の融合によって根拠なき財政均衡主義を脱し国土への働きかけを回復すべき」前編 大石久和会長特別対談
司会:藤井 聡氏(京都大学大学院教授、内閣官房参与)ゲスト:青木泰樹氏(京都大学レジリエンス実践ユニット特任教授)
「国土学と経済学の融合によって根拠なき財政均衡主義を脱し国土への働きかけを回復すべき」中編 大石久和会長特別対談
司会:藤井 聡氏(京都大学大学院教授、内閣官房参与)ゲスト:青木泰樹氏(京都大学レジリエンス実践ユニット特任教授)
「国土学と経済学の融合によって根拠なき財政均衡主義を脱し国土への働きかけを回復すべき」後編 大石久和会長特別対談
司会:藤井 聡氏(京都大学大学院教授、内閣官房参与)ゲスト:青木泰樹氏(京都大学レジリエンス実践ユニット特任教授)
「国土学と経済学の融合によって根拠なき財政均衡主義を脱し
国土への働きかけを回復すべき」
今回は、ゲストとして経済学者の青木泰樹特任教授を、司会として京都大学大学院の藤井聡教授をお迎えした。3人共通の関心事である「国土学と経済学の融合の可能性」について、熱い議論が繰り広げられた。
青木 泰樹氏 京都大学レジリエンス実践ユニット 特任教授
大石久和 第105代土木学会会長
[司会]藤井 聡氏 京都大学大学院工学研究科教授
人間のあらゆる営み「スープラ」と国土そのものである「インフラ」の無限循環
藤井――まず、大石会長が提唱してこられた「国土学」とはどのようなものか、改めてご説明ください。
大石――旧建設省で道路局長をしていた頃に、道路をつくり管理するとは一体どういうことなのか、考えたことがあります。その結果、橋を架け、トンネルを掘るという行為は、突き詰めれば「国土に働きかけ、国土から恵みを得ること」に他ならないと考えるようになりました。「道路」や「港湾」、あるいは「ダム」というツールを通じて、私たちは国土から何らかの恵みを頂いているのだと。こうした考え方を「国土学」として提唱できるのではないかと思ったのです。
藤井――今のお話は、次のような構造で示せるのではないかと思います。大石会長との共著『国土学―国民国家の現象学』(北樹出版)で書いたのですが、橋、道路、港湾などによって整えられた「国土」そのものが「インフラストラクチャー」という土台であり、その上にあるのが経済、社会、文化、歴史などの営みすべてを含む「スープラストラクチャー」(上部構造)である。そしてスープラから、インフラとしての国土に働きかけてそれを改変すれば、われわれは「恵み」を得て、それを通してスープラはさらに高度化する。
こうした上部構造(インフラ)と下部構造(スープラ)の「無限の循環」が現に存在しているのであり、それこそが文化、文明の進歩である、そしてこの循環を適切に回していくためのよすがとなるのが、「国土学」なる学問である。
青木――大石先生と藤井先生が提示されている「国土学」を、私は1年ほど前から勉強し、これからの発展可能性を秘めた優れた学問だと感じました。その理由は2点あります。第1に「国民国家の繁栄と存続のために国土のあり方を考える学問」である国土学を説明する際に、とてもわかりやすいイメージを示されていることです。
国民国家が上部構造、国土が下部構造としてあり、上部構造である国民国家が国土を改良する。同時に、国土の地理的地勢的条件が国民の気質や国民性を規定している。さらに、手を加えることで派生する問題に対して、また考え、再び手を加えていくというこの無限循環は、多くの人が納得できるわかりやすさを持っています。
第2に、国土学の理論は一般妥当性と現実の説明力の両者を備えている点が、きわめて優れていると思います。通常、社会科学の理論の困ったところは、普遍性を持つと、現実の説明力が弱くなることです。現在の主流派経済学は、あまりにも抽象度を高めて一般妥当性を求めた結果、現実性から乖離してしまった。ところが国土学はそうではありません。
国土学のコアは「個の存続のために住処を守ろう」という姿勢であり、いつの時代にも、人間社会のみならず生物界においても妥当する普遍性を備えています。さらに、社会諸科学が上部構造のみを分析対象とし、下部構造である国土のことは考えていないのに対し、国土学は上部と下部の循環構造の中で国土を捉えている。地に足がついているのです。国土学は、すでにして社会科学であると言えます。
大石――青木先生が言われたように国土学は国土の有り様に依存するところがあります。日本、中国、ヨーロッパ、中東と、国土はそれぞれ相当に違う。人々は異なった国でいろいろな経験をしますが、国土に依存した経験しかできないのです。その経験が民族をつくる。「国土の有り様が違うほどに民族の個性も違うのだ」という認識が、上部構造のみを捉えた学問をやっている方々にどれだけあるのか疑問です。
国家や国土を無視した経済思想が繁栄への無限循環を妨げる
藤井――経済学においても、経済と国土との複雑な循環関係を見据えなければ、適切な経済政策や国土政策は打てないはずです。経済学と国土学とを接合させることはできないものでしょうか。
青木――経済学は一枚岩ではなく、諸学説の集合体ですから、国土学と相性の良い学説もあれば、全く合わないものもある。接合しやすいのは、ケインズ経済学をはじめ、イノベーションが経済を変動させるというシュンペーター経済学、交通網を充実させることで生産力が飛躍的に高まると指摘したマルクス経済学などでしょう。
他方、社会科学を自然科学的に考えようとする経済学者たちは、国民も国家も国土も存在せず、世界には同質的無機質な個人と市場システムだけが存在すると考え、経済理論をつくっています。残念なことに、そうした新古典派経済学などの学説が現在の主流派になってしまった。彼らは、自分の経済理論以外の部分は全て切り取ってしまう。真っ先に切り落としているのが「公共の重要性」です。
一番問題なのは、官僚や政治家が経済政策をつくる際に、そうした経済学説に振り回されることです。顕著な例が「民間の経済活動は政府のそれより効率的」という話です。それで「小さな政府論」や、“官から民へ”の「構造改革論」の流れができてしまった。
大石――結果として日本国民がより豊かになるのであれば、何の問題もありません。しかしこの20年間、国土への働きかけである公共工事を減らしていった結果、国民は貧しくなりました。各国の名目GDP成長率を見ても、世界の中で日本だけがマイナス成長という状況にあります。世界における日本のプレゼンスがどんどん小さくなってきているのです。
以前、福島原子力発電所事故調査委員会をつくり、自ら委員長となられた黒川清先生の本を読み、ハッとしたことがあります。彼は「福島の原発事故によって日本のエリート層がいかに劣化しているかを世界に示してしまった」と書いています。事故に絡んだエリートたちにヒアリングしても、十分な説明が返ってこない。なぜそういう人がトップ層になれたのか。「グループシンク(集団浅慮)」による弊害だと言うのです。つまり、そのグループ内での論理に最も忠実な人が地位を上げていく。誰も異論を唱えないので、リーダーたちにとって不都合な事実は存在しない――。非常に深いところを突いていると思いました。
藤井――つまり“スープラとインフラの循環”により国民国家を繁栄させようとしても、グループシンクの人たちに特定の学派のイデオロギーが共有されてしまい、循環がまわらなくなったということですね。無限循環を阻害している要因としては、今話に出た「小さな政府論」の他、「財政均衡主義」も関係していると思います。
青木――確かに財政学者の唱える単年度の財政均衡主義が、財務省のプライマリーバランス目標に影響を与え、財政出動の足枷になっています。いわゆる緊縮財政ですね。しかしこれは、全く理論的根拠がありません。
藤井――その間違った理論に導かれて政府は財政均衡主義に動き、建設国債を発行せず、インフラをつくれなくなってしまった。
大石――先進国で公共事業費を20年前より下げているのは日本だけです。しかも、1995年時の公共事業費と比較して半分以下に減らされている状況です。わが国はこれから高齢化がますます進み、災害弱者が増えていきます。それなのに、治水より財政の均衡が大事だというのはおかしな話です。
国土と日本経済発展のため期待される国土学と経済学の融合
藤井――戦後の日本を振り返れば、高速道路や東海道新幹線といったインフラが、経済に巨大なインパクトをもたらしたことは明白です。交通網の整備によって産業力がつき、生産性が上がる、需要も上がっていく。こういった点を経済理論ではどのように捉えられているのでしょうか。
青木――例えば公共経済学では、公共事業の優先度を選別する際、費用対効果分析などをもとに議論されています。しかし、費用対効果で分析すると、人口の多い都市部だけが発展してしまうことになる。私は、国土学と最も相性のいいのはケインズ経済学だと考えています。
ご存知のとおり、ケインズは「経済社会は景気変動を免れず、景気が悪いときは政府の出番だ」という財政出動の理論の根幹をつくった学者です。ただ、ケインズ経済学には長期的視点がありません。景気が悪くなったときに財政出動するという量的な話だからです。どんな事業にどれくらい財政出動をするか、あるいはその財源として建設国債を用いた場合、長期的にその残高の増加をどのように評価するのか、といった観点が欠けているのです。
これらはまさに国土学の視点ですから、ケインズ経済学に国土学を融合させることが非常に重要だと思います。それによって、公共投資による社会資本蓄積が、どのように民間の経済効率を向上させるかを適切に評価できると考えています。
経済学者たちは、「過疎地にお金を回してもしかたがない」と言います。「過疎地の人が都市へ移住して働けば、たくさん稼げてGDPも上がる」という議論まであり、とんでもないことです。
都市部には需要があり、地方は供給力を持っているけれど遠いからどうしようもない、というのが現状ですから、交通インフラを整備して地方と都市を近づければ、いいだけの話です。特に今は、金利がゼロで建設国債を発行できる状況にあります。インフラを整備し、国土強靱化を進める大きなチャンスなのです。
大石――国債金利も世界の主要国に比べて日本は一桁小さい。言わばマーケットが「もっと国土に働きかけしてください」と、日本に国債の発行を要求しているようなものです。先祖たちが苦労してつくり上げてきた国土を、財政が厳しいというわれわれ世代の都合で荒廃させていいわけがありません。そのためにどうすればいいかという発想にならなければいけないと思うのです。
藤井――国土と日本経済の発展のためには、国土学と経済学の連携が欠かせません。最後に両者の実践的融合に向けた展望をお聞かせください。
青木――今回は経済学と国土学を融合した「国土経済学」がテーマでしたが、国土学というものはもっと裾野の広い、社会科学全体の「学」としての基盤となるもの。一つの思想、実践哲学となり得るものであると改めて感じました。
大石――国土から恵みを得るためには、単年度ではなく、数年、数十年をかけて国土に働きかける必要があります。世界中の国は長期的視野に立った国土計画を持っています。かつては日本にも国土庁があり、国土計画を有していましたが、現在はそうした展望のない、いびつな状態にあります。それを多くの人に知ってもらい「これはおかしい」という感覚を共有していかなければならないと思っています。
藤井――国土学は、土木とは一体何なのかを理解する上で、重要なパースペクティブを与えてくれます。豊かな国土、国家をつくり上げるために、学会として、学問として、何ができるのか。今後も議論を深めていきたいと思います。
[執筆]三上美絵 [撮影]大村拓也
青木 泰樹 (あおき やすき)
京都大学レジリエンス実践ユニット 特任教授
1956年神奈川県生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科博士過程単位取得満期退学後、帝京大学専任講師、助教授、帝京大学短期大学教授を経て、現在、京都大学レジリエンス実践ユニット特任教授。専門は経済変動論、シュンペーター研究、現代日本経済論など。
藤井 聡 (ふじい さとし)
京都大学大学院工学研究科教授、京都大学レジリエンス実践ユニット長、内閣官房参与
京都大学大学院工学研究科修士課程修了後、同大学工学部助手、イエテボリ大学客員研究員、京都大学大学院工学研究科助教授、東京工業大学大学院理工学研究科教授などを経て現職。国土・土木・交通計画や経済・財政政策のための理論的実践的研究に基づき、幅広く社会に提言を行っている。